2015年 01月 17日
1月17日、「夕刊」 あの日から、20年。。。
一瞬は、青空でしたが。。。
バス停に送ってもらう頃には、吹雪。。。
小川の草は、春を待って。。。
9時20分を過ぎても、バスは
時刻表を見直したら、赤い字!
土日祭日は、運休でした!
慌てて、駅長さんにをして、
木曽福島駅まで。。。
吹きっさらしのホーム。。。
しなの6号は9,10号車が「自由席」とアナウンスが入りましたが、
どこが9号車かを、杖で ’あぶり出し’ !
CDを頂いて、2時半過ぎの昼食は、
受験生4人と、今年は逃したIさんとで。。。
Iさんは、今日のレッスンには出て来ないような気がしましたが、
!精神力の強い人です!
思わず、硬い握手を!
帰りの鈍行、「落合川駅」です。
下りの列車は、順調でしたが、
上りが10分遅れ、、、
単線だから、途中の「倉本駅」で待機!
塩尻の乗り継ぎの方も、ワンマン運転の運転手さんに質問!
私も、開田高原行のバスが心配で質問!
直ぐに、木曽福島駅に問い合わせをしてくれて。。。
吹雪の中を出て来ていましたので、
駅長さんの迎えよりも、バスが安全と、迎えを断っていましたが、
もし、バスが出発していたら、イオンで買い物をして待つから、
お山を下りて来て欲しいと、
駅員さんは、駆け降りた私に、
身を乗り出すように、
「バスは、今から来るからね!」
開田高原行や木曽駒高原行、三岳行などが、
一斉に入って着ました!
電車の遅れに、合わせてくれているのですね!
開田高原は、ー7,8度。
雪がまだ降っていました。。。
降り続いていたそうです。
「古屋敷」で待っていた駅長さんと、
’らーめんでべそ’ さんへ。。。
可児市の一人暮らしのSさん、
以前から、亡くなったご主人共々、 ’開田ファン’ でした。
秋ごろに伺った折に、
「開田のスンキが食べたいよ!
いつも畑中さんの家で食べていたんだけどね。。。」
開田には畑中という姓が多いのです!
「息子さんが名古屋の方から戻って、
最近、ラーメンの店をしているようね。。。」
そんな話が、やっと、
ラーメンを食べながら出来ました!
明日には、Sさんにして、
伝えたことを、話しましょう!
さてさて、20年前の早朝、
未曾有の地震が起きました!
数日前から、ラジオでは生々しい手紙が、
読まれています。
あの、ゴーーーと突き上げられるような衝撃は、
忘れられません!
アメリカに居た息子は、10分もたたないうちに、
「母さん、大丈夫?」と
彼も、
戻ってから17,8年は経ったということなります。。。
御嶽さまの噴火が起きて、
粉塵が降り、ヘリコプターが早朝から頭上で唸り、
とのシャワーが始まり、
20キロ離れているとは言え、
先が見えない不安とイライラ。。。
「被災者」の圏内の気分を味わってみて、
やっと、本当に、被災された方々の気持ちに添うことが出来ました。
(それまでは、多少の寄付やら、
友達の支援活動にチョットだけお手伝いで、
協力している気分を味わっていました。。。)
明日は、TEDグループ4名がやって来ますが、
地蔵峠スノーシューは、諦めて、
前回と同じく、宿のバスで、早めの到着となります。
では、オヤスミナサイ。